2024年2月9日に寂しい知らせが届きました。
世界的な指揮者、小澤征爾さんの訃報です。
心不全により亡くなられました。
戦後の日本クラシック界を牽引し、
世界の楽団の第一線に立ち続けた小澤征爾さん。
そんな小澤征爾さんがピアニストから指揮者へ転したきっかけは、
ラグビーだったことをご存知ですか?
今回は、小澤征爾さんが指揮者に転進するきっかけになった、
ラグビーとの関係を調査してみたいと思います。
小澤征爾さん死去
日本を代表する世界的な指揮者の小澤征爾さんが、
2024年2月6日、都内の自宅で心不全の為、亡くなられた
というニュースが2024年2月9日の夜、
日本を始め世界中に伝えられました。
原因は心不全とのことです。
2010年には食道がんの診断を受け、
食道の全摘出手術を受けていますが、
その後、復帰を果たしています。
小澤征爾さんが指揮者になるきっかけ
師事するシャルル・ミュンシュとその奥様
師事するヘルベルト・フォン・カラヤンと
師事するレナード・バーンスタインと
シャルル・ミュンシュやヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタインに師事した小澤征爾さん。
日本での師匠である作曲家の山本直純さんやチェリストの斎藤秀雄さんのもと、
指揮の勉強を始めたそうです。
そんな小澤征爾さんが、ピアニストから指揮者へ転進するきっかけとなったのは、
なんとラグビーでした!
いったい何があったのでしょうか。
ラグビーへの情熱
もともとピアニストを目指してた小澤征爾さん。
その小澤征爾さんがラグビーに出会ったのは、成城中学に在学していた時でした。
大親友である松尾勝吾さんの誘いで始めたラグビーから、
チームの統率やコミュニケーションスキルを学び、
指揮者・小澤征爾が誕生したようです。
ピアニストから指揮者へ
家族の目を盗み、熱中していたラグビーの練習中に
両手の人差し指を骨折した小澤征爾さん。
この怪我が転機となり、ピアニストから指揮者の道へ
転進を遂げます。
家族からは、泣かれたり色々と言われたようですが
結果として、
ラグビーの要であるコミュニケーション
が、“楽団”という1つのチームの誕生に、一役買っているのは、
間違いないようです。
小澤征爾さんの訃報にネットの声は?
日本のクラシック界を牽引してきた小澤征爾さんの、訃報を惜しむ声が止みません。
私たちに届けてくださった多くの感動は、計り知れないものです。
まとめ
世界の頂点にまで上り詰めた小澤征爾さん。
その苦労と努力の賜物は、私たちに大きな感動を与えてくださりました。
小澤征爾さんのご冥福をお祈り申し上げます。